乙名部屋
- 2012/02/18(土) 07:49:37
さて何と呼ぶでしょうか

初めて足を踏み入れた出島・・・。
鎖国時代、西洋に開かれた唯一の窓口であった出島ですが
明治以降の埋め立てなどによって、1904年 (明治37) その扇形をした姿が
消えてしまったそうですね・・・。
そんな状況の中で、出島に歴史的価値を見出した人物がいたのでしょう!!
こんままではイケンけんで、どがんかせんば

ということで、出島復元整備事業が現在も進んでいるようです。
建物の復元とともに、石垣などの周辺整備もされいて。。。
ふつふつと甦りつつある19世紀初頭の出島を、如月の寒い中
張り切って散策してみる事に致しました


いやぁ〜・・・。
スゴイです!!これは、半日はたっぷりと楽しめる場所ですね
実際に、この地に1636年 (寛永13) 出島は存在していた訳ですが。。。
今も発掘調査は続行中で、ブルーシートが被せてある場所もありました。
当時の様子が、よく分かるようにと費用も掛けて復元されているようだじょ。

オランダ商館長の事務所や住居として使われていた、このカピタン部屋がある
建物は、出島の中でも最も大きく、日本の役人や大名などの
接待の場所としても使われていたそうです。
オランダ建築には、このように両側から2階へ上がるような階段がみられ
これは三角階段と呼ばれているそうだじょ

そしてこの建物 (カピタン部屋) の裏通りに、乙名部屋というのがありました。

最初、この名前を耳にした時、何だか危ない部屋を想像して
かなり期待して、出島まで来たのに。。。普通の町屋風の建物で残念

実際、この乙名というのは、貿易事務や金庫番をしたり
商館員たちの監視役をする為に、この出島を築いた出島町人の中から
長崎奉行が選んだ役人の事を 『出島乙名』 と呼ぶそうですね・・・。
ハッキリ言って、おてきちの期待は大きく裏切られた気分だじょ

右側の室内は、カピタン部屋の一室ですが。。。
こうして見比べてみると、文化の違いが一目瞭然ですネ


ここは、大広間と呼ばれている食事場所で、別棟で調理された料理を
召使いがちゃんといて、給仕していたそうですよ

この35畳もある大広間は、日本の役人との応接間でもあったそうで
重要な役割を担っていたそうですね・・・。
ちなみに、この今のセッティングは、クリスマスを祝ったとされる
【阿蘭陀冬至】 の祝宴風景を再現されているそうです
ブログ的に絵になる風景だったので、おてきち興奮しながら撮影してしまったじょ。
何よりも印象的だったのは、やはり壁紙に使われていた唐紙です・・・。
これは、日本の伝統的な文様をモチーフにした木版刷りの美術紙のことで
室町時代から壁紙や、襖の装飾に用いられていた唐紙を
洋風建築にセンスよく取り入れてあった様子に、胸が躍りましたネ

唐紙を使っていた当時の装飾スケッチか何かが残っていたのでしょうか
この復元出島の色彩豊かな空間に身を置いていると
当時の出島で賑わう声や、ビリヤードの球を突く音が今にも聴こえてきそうな
とても新鮮で不思議な時間でした・・・。
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この記事に対するコメント
訓み方
それで、訓みは「おとなべや」ですか。
そうです♪
早くにコメントいただき、感謝致します(^-^)
今朝は、すごい雪ですね!!
車のボンネットにも、こんもり雪が乗っかっています・・・。
電車でないと外出が厳しいじょ(T_T)
相変わらずグルメな親友は、大喜びで雪を食べているんですよ(-_-+)
なので、さすがのおてきちも雪はなぁ〜・・・。
そんないつもロクの勇気には、一歩引けを取っておりまする♪