町家鑑賞の壺

  • 2012/10/08(月) 21:06:39

大津百町とは、江戸元禄時代に大津の町割が 100町もあって
その繁栄ぶりを称する言葉だそうですね
また、大津の地名は、平安時代より都への物資などを中継する港としても
重要視されていたらしく、豊臣政権下に大津城が築かれた天正14年頃に(1586年)
今のような市外地が形成されていったようです・・・。
その後は、関ヶ原合戦で城下町としての役割を終えると、城は膳所へと移されて
大津は、徳川政権下へと変わり、城下町から商業都市へと変貌していったそうだじょ
宿場町に港町、三井寺の門前町として発展していった大津百町は
今で言う複合都市として、当時は栄えていたのでしょうね 

        

そんな大津百町には、国登録有形文化財として保存されている町家が何軒かあって
その中のひとつ、鍛冶屋町 (狸山) にある 【小川家住宅】 で
宵宮の日は、長柄衆の法被を着て、狸の面と一緒にお留守番をさせて頂きました 

        

江戸末期に建てられたものだそうで、およそ140年ほど前って事ですよね?
木造2階建てで、間口は狭く2間半なのに対して、奥行きが長いのにはビックリ!!
玄関先は、当時の祭りの生活文化を組み込んだ改造がなされていて
その手法としては、屋根を高さ方向に増築した趣向を凝らした建造物だそうです。

また、奥にある坪庭の後ろには、3階建ての同じく江戸末期に建てられた
土蔵があって、町家の土蔵は ハレの支度や祭の設えの保管場所としては
欠かせない建物のようですね・・・。
じっくり見られませんでしたが、小さいながらも蔵の存在感としてのオーラを放つ
細やかな意匠を凝らした、時代モノの土蔵でしたよ

        

今の時代、多くの市町村が合併をする中で、大津百町では 旧の町名の表示板を
少しずつ復活させていっているそうなんです!!
昔は ホウロウ製の表示板が、軒先で見掛けることが出来たそうですが
今でも探せば、数は減ったものの、いくつかは見つけられるみたいだじょ

そんな鍛冶屋町にある小川家の裏庭からは、扉1枚で天孫神社に続いているんです。
だから、大切な御神体がある天孫神社の宝物蔵の鍵を、何かあった時の為に
このような袋に入れて、預かっておられるそうです
見学に見えた多くの人たちは、この狸面よりも、建物の素晴らしさに歓声を上げておられ
取り残された おてきちと狸の面とは、雨の宵宮を 2人?静かに見守っていましたよ・・・。

この記事に対するコメント

足下

 京町屋と同じ風景。時代の生活の応じた建築だと、感じる。京町屋ではなく、大津型古住居(センスないけど)といった、売り方(ブランド)があればいいな。良い名前を「おてきちブランド」で探せないかな。

  • 投稿者:
  • URL
  • 2012/10/09(火) 08:30:01
  • [編集]

これからの課題です・・・

写真では写し切れませんでしたが、実際にはこの距離の3倍以上ある家なんですよ。
それに、これもまたバタバタしていて撮れなかったのですが。。。
こちらの小川家には、長谷川玉峰の花鳥図や四季の屏風があって、毎年違うものを
展示されているそうなんですね〜・・・。ビックリです(-_-+)
そんな 肝心な文化財を撮り忘れるとは。。。
せっかく、この日だけ公開されているにも係わらず、全くもって後悔だじょ!!

狂言「狸腹鼓」

この狂言は井伊直弼の大曲で、茂山家では「彦根狸」として演じられます。漁師が、田畑を荒らす狸を捕まえようとしていると、老尼に化けた狸が、殺生するなと意見します。漁師は改心したので、老尼は喜んで帰ります。途中、犬の鳴き声でおびえているのを見た漁師は、正体を見破り殺そうとしますが、命乞いをして狸にもどり、腹鼓を打って見せる。これを見た漁師が喜んでいる隙に、狸は逃げます。この狂言から塩屋治兵衛は狸の面を付けて踊ったのかな??調べてみる価値がありそうだじょ・・・コン・コン・チキ・キチン

たぬき

早朝、湖岸道路を走っていると、10月に入ってから狸の死体?を何体みた事か。
どうも車に轢かれているようですが。。。とにかく可哀想で。。。
生きている間に、この狸は どれだけの腹鼓を打ったのだろうか?!
満足するだけ、打てたのだろうか?!
ふとそんな事を思った、ハチ様の貴重なコメントですね・・・。

この記事にコメントする

管理者にだけ表示を許可する